TOP
キョコ
心に残る言葉は、「蟻の思い天まで届け」。人間の可能性を拓く環境、人権、アートが探索テーマ 。 自然・ 科学・ 歴史・文化ものドキュメンタリー、世界を感じる映画・本が好き 。
戦争が終わったと心から言いたい
 広島県出身の私は、小さい頃からの平和教育の影響か、原爆や戦争のことには少し敏感だ。祖父が被爆者だったということもあるだろう。ただ、そのことを知ったのは、社会人になり海外で仕事をするようになってからだ。家族はそれまで一言もそんな話はしなかったし、祖父当人も元気そうで、生きている間そんな素振りは見せたこともなかった。

 小学校の遠足で広島平和記念資料館に行って以来、当時の怖さと凄まじさ、おぞましさが目に焼きついている。教室には漫画『はだしのゲン』が置いてあった。自身も被爆者だった著者は、家族や周りの人の被爆の状態をリアルに描き出していた。その一コマを今もよく覚えている。

 今年2021年1月、ついに「核兵器禁止条約」が国際条約として発効した。核兵器の開発・使用を全面的に禁じるもので、非人道的な核兵器は、ようやく明確に違法化された。被爆者たちの努力が実った瞬間だった。だが、日本は被爆国でありながらこの条約を批准していない。日本政府は、「核保有国が条約に参加していないから意味がない。まずは橋渡しをする」などと、煮え切らない態度を続けている。「アメリカの核兵器がなくなると、安全保障上、困る」という意見が根強く、むしろ兵器の輸入や基地を作ることに前向きな政権にとって、核兵器禁止には反対を、ということだ。

 国際条約という枠組みが草の根の力で実現した今、日本政府が動かなくても、批准国の規制がかかる。企業は製造開発をしにくくなり、金融機関は融資をしにくくなるような動きも広がっていくだろう。それでも、日本が音頭をとって、本気で非核化交渉に臨むという姿勢で動いていけば、より多くの人が関心を持ち、被爆者の声ももっと届くのではないか。そうした声を直接聴くことのできる時間は、もうわずかだ。

 核なき世界を追い求めて、被爆者として声を上げ続けたカナダ在住のサーロー節子さんにお会いできたのは、2019年に書籍出版記念イベントで来日された時だ。節子さんは、日本政府が欠席した核兵器禁止条約の国連会議のスピーチでも、ノーベル平和賞のスピーチでも、力強いメッセージを発信し続けている。ご家族を原爆で一瞬のうちに亡くし、自身も命からがら生き延びた経験を交えて、日本政府の嘘、裏切り、放置への憤りを静かに語ってくれた。

 先日、ルーマニアの「コレクティブ 国家の嘘」というドキュメンタリー映画を観た。ライブハウスの火事によって多くの若者が火傷を負い、命を落とすという、実際の大事件を追ったものだ。火傷の専門病院に運ばれた患者たちは、治療を受けるどころか、院内での細菌感染によって命を失ってしまう。そこにじわじわと映し出されていくのは、病院が、企業や国家権力の癒着の温床になっているという現実。適切な治療が受けられていたら回復していたはずの、前途ある若者とその家族の苦しみは、どこにぶつけていいのかわからない。火傷を放置されて損傷した体を撮影した映像が、原爆の火傷で苦しむ被爆者を描いた漫画の一コマと重なった。

 今も、世界を見渡すと、ミャンマー、新疆ウイグル自治区、香港、アフガニスタン、スーダンと、独裁政治と軍事クーデターによって、庶民の命、人権、暮らしが破壊される様子がニュース映像で飛び交っている。核兵器がなくなっても、戦争や内戦、人権侵害は終わらないのではないか、と不安になる。戦争兵器は、工業化や先端技術の開発によってどんどん威力を増している。「人間だから戦争をするものだ」とはもはや言い切れないほど、限度を超えているのだ。そんな怪物兵器に頼るより他に、もっと良い方法にたどり着く能力と情熱を私たちは持っているはずだ。

 節子さんが語った言葉を改めて思い出す。「決断は一度だけするのではない、継続していかなければ強くならない」と。日本でのイベント後に、節子さんとの握手を求めて列に並んだ私は、順番がきた時にドキドキしながら「祖父も被爆者でした」と伝えた。節子さんは、逆に私の手をしっかりと握ってくれた。その時、私は大事なバトンを渡された気持ちになった。

 衆院選を控えた今、「核兵器禁止条約」に賛同の意思表示をする国会議員が増えている。若者たちが中心になって、議員への活発な働きかけがなされていることも大きい。
 コロナ禍に、「日本は戦前回帰ではないか」という声が上がったが、本当に戦争は終わったと言えるのだろうか。被爆者は何度も無力感に苛まれながらも、核兵器廃絶を訴え続けてきた。長く暗いトンネルの中で、手探りでバトンの受け渡しを続けるような活動は、強い決断に支えられている。そこには、声に出せなかった被爆者、戦争犠牲者の苦しみがある。本当に戦争が終わったと、一緒に喜べるような政府であって欲しい。そして、きちんとそのバトンを持って世界を走り続けるような政治が、今こそ必要とされていると思う。
キョコ
心に残る言葉は、「蟻の思い天まで届け」。人間の可能性を拓く環境、人権、アートが探索テーマ 。 自然・ 科学・ 歴史・文化ものドキュメンタリー、世界を感じる映画・本が好き 。