そのとき政治が自分ごとになった 最終更新日:2021/10/20
セクシュアリティのゆらぎが頭をもたげてきたのは、大学院で法律を勉強していた22歳の頃だった。胸に秘めた悩みが誰かにバレてはいないかと疑心暗鬼になり、怯えながらネットで情報を探す日々。家族や友人にも心を閉ざしていたことを覚えている。幸い、仲間と出会い、恋人もでき、結婚できずとも好きな人と暮らせる日常に満ち足りるようになった私の政治への関心は薄く、たぶん投票にすら行っていなかった。
やがて国家公務員として働きはじめ、投票へは行くようになったけれど、どちらかというと義務的な感覚だったように思う。真面目に仕事をこなし、週末や長期休暇にはほどよく息抜きをする。健康に不安はないし、いくらか貯金もある。贅沢はできなくても、ささやかな幸せで十分だ。
のんきな暮らしが続いていたが、2017年頃だったろうか、長期化する安倍政権の独裁化を不安視する声が聞こえてきた。高校卒業後に進学したアメリカの大学で、ユダヤ系アメリカ人であるジェニー教授に教わった政治哲学の授業を思い出した。「民主主義はとても脆いシステム。ぼんやりしていると、いつの間にかじわじわと独裁主義にむしばまれてしまう」。ほどなく、自民党の杉田水脈衆議院議員の「同性カップルには生産性がない」という持論が月刊誌に掲載された。深く傷ついたけれど、皮肉にも、そのとき初めて政治が自分ごとになった。学者や市民団体が抗議の声をあげ、野党議員が国会で責任追及する姿を目にして、「何ができるか分からないけれど、私も動こう」と心に決めた。
直後の参院選では、初めて選挙活動のボランティアに参加し、投票日をInstagramに投稿したり、周囲に選挙の話題を持ちかけてみたりした。政治的なニュースをFacebookでシェアすると、他の話題と比べて「いいね!」の数は少ないものの、意外な人との会話のきっかけになったりもした。
その選挙自体はがっかりする結果に終わってしまったが、私の目に映る世界はすっかり変わった。政治関連のニュースを見比べるようになったし、街頭演説で足を止めるようになった。Podcastで国会のダイジェストを聴いたり、そのことを同僚との間で話題に出したりするようになった。複数の自民党議員がまたもLGBTへの差別発言をしたときには、活動家が、謝罪撤回と差別禁止法の制定を求める要望書を提出する場に同行した。足がすくみ、ものすごく勇気のいる行動だったのだけれど、謝罪撤回はなく、差別禁止法の制定も叶わなかった。
独裁主義の兆しはいたるところに潜んでいるし、政治に絶望しそうになることもしょっちゅうだ。だけどもう、無関心だった頃には戻れない。戻りたくない。連帯できる仲間もできた。利権にまみれた政治家がいる一方で、置き去りにされがちな声を代弁する政治家がいることも知った。
きっかけはLGBT当事者として名指しされたことだったけれど、いざ動き始めたら、ジェンダー、貧困、環境、医療、生活に関わることは、みんな政治につながっていると気づかされる。そもそも、誰からどのくらい税金を集めて、何にどう使うかを決めるのが、政治なのだ。アベノマスクみたいな茶番には怒っていいし、素朴に日々を暮らす人たちを踏みつけにするような判断には「おかしい」と言っていい。政治は他でもない、私たちのものなのだから。
やがて国家公務員として働きはじめ、投票へは行くようになったけれど、どちらかというと義務的な感覚だったように思う。真面目に仕事をこなし、週末や長期休暇にはほどよく息抜きをする。健康に不安はないし、いくらか貯金もある。贅沢はできなくても、ささやかな幸せで十分だ。
のんきな暮らしが続いていたが、2017年頃だったろうか、長期化する安倍政権の独裁化を不安視する声が聞こえてきた。高校卒業後に進学したアメリカの大学で、ユダヤ系アメリカ人であるジェニー教授に教わった政治哲学の授業を思い出した。「民主主義はとても脆いシステム。ぼんやりしていると、いつの間にかじわじわと独裁主義にむしばまれてしまう」。ほどなく、自民党の杉田水脈衆議院議員の「同性カップルには生産性がない」という持論が月刊誌に掲載された。深く傷ついたけれど、皮肉にも、そのとき初めて政治が自分ごとになった。学者や市民団体が抗議の声をあげ、野党議員が国会で責任追及する姿を目にして、「何ができるか分からないけれど、私も動こう」と心に決めた。
直後の参院選では、初めて選挙活動のボランティアに参加し、投票日をInstagramに投稿したり、周囲に選挙の話題を持ちかけてみたりした。政治的なニュースをFacebookでシェアすると、他の話題と比べて「いいね!」の数は少ないものの、意外な人との会話のきっかけになったりもした。
その選挙自体はがっかりする結果に終わってしまったが、私の目に映る世界はすっかり変わった。政治関連のニュースを見比べるようになったし、街頭演説で足を止めるようになった。Podcastで国会のダイジェストを聴いたり、そのことを同僚との間で話題に出したりするようになった。複数の自民党議員がまたもLGBTへの差別発言をしたときには、活動家が、謝罪撤回と差別禁止法の制定を求める要望書を提出する場に同行した。足がすくみ、ものすごく勇気のいる行動だったのだけれど、謝罪撤回はなく、差別禁止法の制定も叶わなかった。
独裁主義の兆しはいたるところに潜んでいるし、政治に絶望しそうになることもしょっちゅうだ。だけどもう、無関心だった頃には戻れない。戻りたくない。連帯できる仲間もできた。利権にまみれた政治家がいる一方で、置き去りにされがちな声を代弁する政治家がいることも知った。
きっかけはLGBT当事者として名指しされたことだったけれど、いざ動き始めたら、ジェンダー、貧困、環境、医療、生活に関わることは、みんな政治につながっていると気づかされる。そもそも、誰からどのくらい税金を集めて、何にどう使うかを決めるのが、政治なのだ。アベノマスクみたいな茶番には怒っていいし、素朴に日々を暮らす人たちを踏みつけにするような判断には「おかしい」と言っていい。政治は他でもない、私たちのものなのだから。
Elly
駅はないが空港はある田舎町で生まれ育つ。飛行機を眺めては広い世界に憧れ、米国に留学。国家公務員時代を経て、食品専門紙記者になって3 年目。お酒を愛してやまない。